ボルボが人気ブランドになるまでの道のり

お洒落で洗練されている、そして安全対策に意欲的‥‥北欧の自動車メーカー「ボルボ」はそういったイメージで知られています。1920年台の創業より貫かれてきたポリシーあるいは時代にそって変革してきた「ボルボの歴史」、その流れを辿っていきましょう。

若き理想がボルボを生む


ボルボはスウェーデンのイェーテボリに本拠地を置く企業です。ここで取り上げる乗用車部門のほかトラック、建設機械、航空機、はたまた金融サービスまでと幅広い部門を擁する大規模な「ボルボグループ」になります。
その全てのルーツとなったのは自動車製造であり、その萌芽は1924年にまで遡ることができます。ボールベアリング製造を手掛ける会社「SKF社」にいた二人の男、ガブリエルソンとラーソンの出会いが 後に大きく羽ばたく「ボルボ」誕生のきっかけになりました。
スウェーデンは良質の鋼材「スウェーデン鋼」で知られます。当時 工学技術もどんどん発達を見せ、また人件費も安かったという背景もあり、このSKF社は高品質のベアリングで世界的に高い評価を得ていました。
そんなベアリング製造を手がけていた若きガブリエルソンにはひとつの夢がありました。「ろくに道路が整備されていない自国であっても、満足して走れるクルマを自らの手で作りたい」‥‥この想いを胸に、イギリス帰りで豊富な知識と情熱を持っていたラーソンへ話を持ちかける事になります。ラーソンはその熱意に打たれ、1924年より二人の試行錯誤が開始されます。そうして1926年ついに、SKF社の後援を得て「ボルボ」のブランドが誕生しました。ラテン語で「回る」「転がる」といった意味です。

初期は儲からず、安全対策がコスト高を呼んだ


ボルボは創業時より常に「安全性」にこだわったクルマづくりを掲げてきました。テストには十二分に手間ひまをかけた上で、充分な安全性が証明されてから世に送られることになります。これにより現在にいたるまで「ボルボ=安全」という確固たるブランドイメージが築き上げられています。
時期は前後しますが、いまや当たり前にどの自動車にも付いている「三点式シートベルト」、これはボルボによる発明です。1959年に技師ニルスが開発したこの技術によりボルボは特許を取得しました。ですが利用にあたってのライセンス料は無用であるとして、あらゆるメーカーがこの技術を使えるように公開しました。おかげで世界中で命を救われたドライバーは数知れません。ボルボの安全に対する揺らがないポリシーが伺えるエピソードだと言えます。
さて黎明期のボルボに話を戻します。最初の量産モデルとなるOV4そしてPV4が1927年に発売されました。これはいかにもクラシックカー然としたビジュアルをもったデザインとなっています。
また翌1928年にはトラック製造が開始されました。スウェーデンの厳しい気候に考慮した客室・また頑丈で長持ちするボルボ・トラック登場は国内から好評を受け、順調に売り上げを伸ばして会社を支えました。一方で乗用車はというと安全対策でかけたコストに見合ったリターンがなく、しばらく低調の時代が続きます。

世界情勢を巧みに読んでヒットを飛ばす


そのような1930年台、アメリカのGMにいた技術者を招聘するなどして「新しいボルボ」を目指しての試行錯誤が続いていきます。当時スウェーデンではアメリカ車の流線型のフォルム・明るいカラーリングがもてはやされました。ボルボもこういった美点を取り入れ「実直・ゴツゴツ」から垢抜けようと脱却を図ったのです。PV4にも大規模なモデルチェンジが施されました。
やがてヨーロッパを全土を、そして世界中を巻き込んだ第2次世界大戦が勃発します。スウェーデン自体は中立の立場をとったため直接大きな被害を受けることは避けられました。そして迎えた終戦後、ボルボが発売したのがロングセラーとなったPV444です(1946年)。かつて中型~大型の車両をラインナンプ主力としていたボルボですが、世界情勢を鑑みて「車を買う各国が疲弊している、より経済的な小型車が求められるに違いない」といった分析のもとに完成したのがこのPV444です。
かくしてボルボの予想は大当たりします。PV444は1965年まで長期にわたって生産され、乗用のほかモータースポーツ分野でも活躍して世界中から愛されました。そのボディーは「小さい」ながら、ボルボが世界的メーカーの仲間入りするための「大きな」ステップとなりました。